たとえば、2歳のこどもがいたら、
5歳のおにいちゃんや、
3歳のおねえちゃんのことを、
「ああ、そんなふうにするのか」というふうに、
なにかをまねしようとして見ているだろう。
たとえば、16歳のおにいちゃんは、
24歳のおにいさんや、18歳のおねえちゃんから、
「お、それはかっこいい」というふうに、
なにかまねしようとすることがあるだろう。
たとえば、35歳のおねえさんは、
49歳のおばさんや、37歳のおじさんやらから、
「ああ、なるほどなぁ」と思わされて、
それはまねしたいものだと思ったりするだろう。
それとおなじように、60歳のおじさんには、
65歳のおねえさんだの、79歳のおばさんだの、
87歳のおじさんだの、100歳の先輩だのがいてさ。
「うわぁ、そうですよねぇ」なんて感心しちゃって、
あこがれちゃったりしているものだから、
いそがしくてしょうがない。
ついでのように言うわけじゃないけれど、さらに、
24歳のおにいさんだの、18歳のおねえちゃんだの、
5歳や、3歳や、2歳のこどもたちだの、
犬だの猫だの、水の流れだの、風の向きだのからも、
いろんなことを教えられるものだから、
ほんとにまったく、きりがないや。
しかも、それぜんぶと同じくらいいっぱい、
とっくになくなっている大先輩たちまでいるのだから、
こりゃぁもうたいへんだ。
ねぼけた目も、さめちまうってわけさ。
目をあけてたら、なにかが見える。
目をあけてたら、なにか教えてもらえる。
おっと、そのようすを、
おとうとやいもうとが見ているぞ。
『 先生だらけ。 』 糸井重里
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